top of page

住吉神社|佃

 

摂津国(大阪市西淀川区佃田)の漁民は、徳川家康が住吉神社などに参詣した際、神崎川を渡して以来の縁故があり、

慶長十七年頃、江戸に迎えられ、はじめは小網町の安藤対馬守の蔵屋敷内に居住し、そこに故郷の氏神住吉神を

の上洛より機縁があり家康公との繋がりは深くあったとされます。

 

江戸時代に将軍家に白魚を献上をするようになったが往来が大変であった為に江戸に移住し、

佃島を埋め立て、漁のほうかに佃煮などを作っていたとされます。

 

その土地は故郷の名前をとって佃島と名付けられ、現在の東京都中央区佃となったとされます。

顧客の住吉明神を住吉神社として分霊されました。

 

住吉神社の祭神は住吉三神、息長足姫命、東照御親命

 

佃住吉講

1947年に講元「佃嶋氏子中」が「佃住吉講」と改称し、各町会・連合睦会共に、3年に一度の例祭を執り行うようになりました。

船渡行

1990年から船渡御が復活し、例大祭において重要な行事となります。

八角神輿

八角形の神輿は、北陸地方や近畿では多くある形状ですが、関東地方では珍らしく、東京では住吉神社|佃のみです。

神輿の製作は、内側を漆塗とし、さらに水が内部に入り込まないように部材の気密性を高めるなど、例祭の際に行われた

海中渡御のための注意がはらわれ、佃島の住吉神社神輿としての特徴も持っています。

bottom of page